TYPE BLUE




 「総員、構え!!」
 隊長の掛け声に、ピンと緊張がまるで音を立てるかのように張り詰める。
 衛士たちは各々の胸に祈りながら、術砲を構えた。
 前方に、それを嘲笑うかのように黒い影が立ち上る。
 「来たぞ・・・・」
 隊員の誰かが囁く。
 「<死神>だ・・・・・!」
 それに呼応するかのように、黒い影はいまや蒼く膨れ上がり、一つの形を成した。
 黒く、蒼いその姿に、まるで縁取るように鮮やかな赤が映える。まさに死神を髣髴とさせる巨大な鎌にそれを滴らせ、<死神>はゆっくりと近づいてくる。
 それが同胞の生を奪った証であることを、衛士たちは知っている。その事実から引き起こされる恐怖と嫌悪、そして怒りが、衛士たちの身体を震わせた。
 ―――奴を狩るのはこの俺だ。
 誰しもそう思っていたに違いない。
 しかしひゅん、と風が唸ったと同時に、衛士たちは狩るべき対象の姿を見失った。
 その刹那、まるで彼岸の花の如く衛士たちの隊列に血飛沫が咲く。<死神>の鎌が、3人の衛士の首をほぼ同時に切り飛ばしたのだ。
 それを皮切りに、衛士たちから一斉に悲鳴とも怒号ともつかない声が上がった。
 皆が皆、<死>へと突撃を敢行する。
 もはやそこに<統制機構の衛士>の姿はなかった。皆、迫り来る<死>への恐怖に、<生>への終着だけを胸に奔った。
 己に向けられた抗いを受け、蒼い<死神>は静かに微笑んだ。
 鎌が振るわれるたびに、<死神>を彩る赤が増える。
 もはや隊列は乱れ、まるで衛士たちは我先にと<死>へ急いでいだ。
 後方で待機していた伝達員は、隊長の命令も仰がずに無線コムを手にしていた。
 迫る<死神>の唇から、歓喜の笑いが漏れる。
 「―――こちら『トリカミ』支部!現在<死神>の襲撃を受けている!非常事態七〇七、至急救援を送られたし!本部、聞こえてい―――」
 「あはっ、あはははぁぁはははははッははははははははははははははははッッッ!!!」


 それが、『トリカミ』支部から本部に入った、最後の通信だった

 A.D.2199年9月某日、第六階層都市『トリカミ』の統制機構支部は壊滅した。




 ――――その数時間前。

 第六階層都市『トリカミ』の港に、一人の男が降り立った。
 「・・・ううっ、気持ちわりぃ・・・・やっぱ船で読書はねーわ、マジで」
 白銀の髪に真っ赤なコート。目を引く風貌の男は青ざめた顔で独りかぶりを振った。
 「っつーかだいたい、読書って何だよ。ガラにもねーことすっからだよ<死神>さんよ。ははっ、・・・・・ぅぁああ〜、気持ち悪ッ」
 彼の傍らには誰もいない。誰に話しかけるでもなく、彼はフラリフラリと歩き出した。
 ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。通称<死神>。世界虚空統制機構に指名手配されている第一級犯罪者であり、魔道書の原書の一つ、<蒼の魔道書>を所持する術士。
 その<死神>ラグナがここ、『トリカミ』に現れたのには明確な理由がある。
 『トリカミ』は比較的階層基盤の数が少ない都市だ。そしてその頂には例外なく統制機構の支部がある。彼の狙いは他でもなくその支部の壊滅だ。
 「とっとと図書館ぶっ潰して・・・・あ、でもその前に便所行くか・・・・・いやいや今行ったらリバース確実だろ、いやマジで」
 怪しげな足取りで歩む彼の行く手を阻むものはない。他の魔操船利用客は皆、一様に彼を避けて下船している。さきほどから独り言を呟いているので、当然と言えば当然であるが。
 ただその利用客の中で、<死神>に視線を注いでいる者もいた。
 「・・・いたよ、兄貴。ラグナだ」
 他の利用客に紛れたその青年も、<死神>と似た銀髪と赤い上着をまとっていた。そして自分の傍らにいる、赤い髪の男に語りかけた。
 「やっぱり、図書館を潰しにいくんだ。どうする、兄貴?」
 「野郎が誰かを傷つけるってンなら、止めるだけだ!迷うこたァねぇだろ」
 赤髪の男が応える。
 銀髪のタチと、赤髪のアビス。彼らは咎追いの兄弟である。もちろん、ここにいるのも賞金首ラグナを追ってのことだ。
 彼ら二人は、ラグナからやや間隔を空けて魔操船を後にした。
 「兄貴・・・兄貴は、本当にあいつが<死神>だと思う?」
 ラグナの追尾を開始して数分、タチが不意に口にした。兄のアビスに負けず血の気の多いタチが、標的を目の前に珍しく何か迷いを見せている。
 「はぁ?今更何言ってやがんでぇ。奴が<死神>じゃなけりゃ、<ちり紙>かぁ?弱気になってンなら俺が奴をぶった斬るぜ?」
 アビスが苛立ちを隠さずに返す。風貌がどことなくラグナにそっくりだが、熱血漢を滲ませる表情は似ても似つかない。
 「そうじゃないよ兄貴、あいつは<死神>だけど、<死神>じゃない・・・そんな気がするんだ」
 「だぁかぁらぁああ!!何?オメー俺に喧嘩売ってんの?死ぬの?死にたいの!?」
 「兄貴ちょっと声でかいよ!」
 「誰がデカくさせてんだァよ!!男ならシャキッと物事言いやがれってぇんだ!」
 「・・・・あのぉ、何か用スか?」
 気がつくと、言い争う二人をラグナが振り返っていた。
 「・・・・あ」
 「・・・・あ」
 二人の兄弟がとっさに固まる。が、もう既に時遅し。
 「・・・え〜っと、咎追いのかたですか?お仕事ご苦労さん。じゃあそのまま、回れ右して帰宅して下さーい」
 あまりにも気のなさ過ぎる言葉がラグナから発せられた。事実、彼自身は催す船酔いでそれどころではないのだが。
 だが元々意図せずして喧嘩を売るのが絶妙なラグナが、沸点の低いアビスを着火させるには十二分すぎた。
 「てンめェェ・・・・良い根性してるじゃねェか、こちとらてめェの首をいただかねぇと帰れねぇんだよ!」
 「ちょ、兄貴落ち着けよ!」
 「っるせぇ!ここまでバカにされちゃ男が廃るってぇもんよ!!」
 言うが早いが、アビスがラグナのそれに勝るとも劣らない巨剣を振るって踊りかかった。
 「・・・ったく、しゃーねぇな・・・・」
 まるで緊張感のない声色でラグナが呟く。しかし刹那、身を翻す動きは見事にそれを裏切った。
 キィン!と、鋭い音が響く。
 アビスの剣が、ラグナの手甲に阻まれ弾かれていた。いや、実際は即座に組まれた防御術式の方陣が、幾層もの異相空間を作り出し衝撃そのものを吸収したのだ。
 それは生半可な術式処理能力では実現し得ない。<死神>の有する術式能力の高さがうかがい知れた。
 「・・・っとと、やるじゃねぇか・・・!」
 バランスを崩され、踏鞴を踏んでアビスが僅かにひるむ。
 その隙を、ラグナは見逃さなかった。
 「痛ぇぞ・・・?」
 瞬時に片腕でアビスの首を捉え、逆の手で鳩尾に数発拳を叩き込む。
 「ぐっ!?」
 「兄貴!!!」
 とっさにタチが飛び出してくるのを、ラグナは目の端で捉えていた。
 タチに向けて無造作にアビスを投げつける。
 「あっ!?」
 体当たりする格好になったアビスをどうにか支え、タチがラグナの姿を探した時には、既にラグナはそこにはいなかった。
 「悪ィな、テメェらに捕まってやれるほど俺も暇じゃねーんだ」
 頭上から声がする。いつの間にか近くの建物の上に登っていたラグナが、彼らを見下ろしていた。
 未だに船酔いが冷め切っていない表情だが、どうやら彼らとこれ以上関わるつもりはないようだ。
 「ま、待て!僕はお前に用が・・・・!」
 タチが慌てて言い繕う。確かに兄貴は襲い掛かってしまったが、自分は別の用がある・・・
 だがラグナは、めんどくさそうにため息をついた。
 「マジ勘弁。ほいじゃーな」
 「待て!!お前、<ゼロ>には気をつけろ!!!」
 タチの最後の言葉を聞くまでもなく、ラグナは建物の向こうに身を躍らせていた。
 そこに残されたのは、魔素に侵されていない済んだ青空。
 「・・・<ゼロ>には・・・・<ゼロ>だけには・・・・・」
 茫然と見上げる今のタチには、その蒼が絶望の色にしか見えなかった。





 高い峰の隙間から、風が容赦なく吹き付ける。
 魔素に侵された低い地帯から、人は逃げるように空を目指した。この風はその所業を嘲笑うかのようだ。
 この『トリカミ』も例外ではない。より高く積み上げられた階層の果てには、世界虚空統制機構の支部が設けられている。ラグナはその支部を護るように張り巡らされている要壁の上にいた。
 「・・・さて、と。とっとと済まして次に行くとするか」
 見張り達はどうやらラグナの存在にはまだ気づいていない。統制機構では、旧世界の科学よりもどちらかといえば術式が主眼として使用されている。科学を駆使した保安システムは厄介だが、統制機構の一般衛士の張り巡らせる警戒術式程度なら、誤魔化す自信はあった。
 もとより、厄介事や面倒事はできれば避けたい性格である。殺しにカタルシスを感じるほどイカれているつもりもなければ、配属されたての若い衛士の相手をさせられるなど真っ平御免だった。
 もちろん、面倒な潜入をするつもりはない。コソコソするのは性に合わないし、てっとり早く片を付けるに越したことはない。故に隙を伺い一気に叩くのが彼のセオリーだ。
 だから自分の目的さえ済ませば、あとは別にどうでも良いと思っている。道を塞がれればそれなりに対処せざるを得ないが、命まで奪った覚えはないしわざわざ脇道に逸れてまで鏖殺しようとは思わない。
 彼なりに配慮しているつもりなのだが、図書館―――統制機構の連中は、まるで親の仇とでも言わんばかりに執拗に彼を追いかける。
 「ったく、図書館の為に命張るなんざ酔狂にも程があるぜ・・・」
 はるか視線の先、支部の一部屋で衛士の一人が呑気に昼寝しているのが見える。その衛士一人にしろ、彼なりに選択を続けて今に至っている。酔狂だと思いはするが、ラグナは宣教師ではない。自分の信念を他人に説いて回る気は毛頭ないのだ。
 「おっと、物思いが過ぎたか。そろそろ行こう」
 たんっ、と勢いよく要壁を蹴り、宙へ身を躍らせる。空気を身体が裂き、ややあって音もなく着地した。
 改めて支部の建物を見据えると、心の底に高揚感が湧きあがってくる。怒りと憎しみと、そして悦びがおり交ざったこの気持は、最近如実に表れるようになっていた。
 もちろん、ラグナ自身それに溺れる事はない。力に溺れた者の末路は、いつだって惨めなものだ。
 建物の正面ホールへと走り出しながら、ラグナは魔導書を起動させる。
 彼は冷静な怒りと憎しみを以て、統制機構の破壊を望んでいた。







 ――――数時間後。

 冷たい路上の上に転がった状態で、ラグナは我に返った。
 「・・・あれ?俺は・・・・??」
 まるで白昼夢でも見ていたようだ。
 いつもの通り図書館の奥の窯を潰してから、それから・・・
 ああ、いつものように図書館連中が溢れて来た。それから・・・
 めんどくせぇから、適当にあしらいながら走ったんだよな、うん。それから・・・
 ・・・あれ?それから?
 記憶の線をたどりながら、ラグナは訝しげに額に手をやった。
 ・・・それからどうなった?
 幾度か反芻してみるものの、目覚める直前までの線がつながらない。
 「あとからあとから湧いて出て来て・・・めんどうになったからまとめて吹っ飛ばして・・・・やべぇな、思い出せねぇ。この歳で痴呆かよ・・・・・あれ?」
 ラグナはふと、額にやった手に視線を落とした。
 黒の皮手袋が鈍い色にぬめっている。鼻を突く鉄とさびの匂い。
 「血だ。いつの間に」
 不覚にも頭に攻撃を食らったのかもしれない。とすれば、前後不覚になっていても言い訳がつく。
 だがざっと調子を見るに、出血する程の傷は負っていないようだ。
 手袋だけでは無い。ほぼ全身に至り、生臭い血で汚れていた。
 「・・・返り血?」
 即座に思い、もう一度記憶をたどる。
 ここまで血まみれになるには、数多くの相手に致命傷を負わせなければ無理だ。もしくは輸血タンクの中にでも飛び込んだか。
 だがいずれの記憶もラグナにはない。
 「どういうこった・・・?」
 「どうもこうもないよ!」
 ラグナの思考を遮るように鋭い声が飛んだ。
 声のした方からは、数刻前に出会った2人の咎追いの内の銀髪の男が走ってくる。
 「お前・・・?」
 「だから言ったんだ!<ゼロ>に気をつけろって!!」
 ラグナはその男を呆然と見上げた。何に気をつけろって?
 「気付いてないのか、<ゼロ>に!?」
 「・・・あのぉ、いきなり言われてもわかんねーんですけど。何だよテメェ、まだ俺の首狙ってんの?」
 手で相手をヒラヒラと払いのける仕草をしながら、重い体を引きずるように立ちあがる。全身血でぐっしょりだ。
 すでにラグナの思考は「何故こうなったか」から「次の行先をどうするか」に切り替わっていた。
 「お前、今さっきまでの記憶ないんだろう!?」
 銀髪の男―――タチが詰問してくる。
 その言葉に、ラグナはふと立ち止まった。
 記憶、がない・・・?そういや、俺はさっき、なんで血まみれなのか悩んでなかったっけか・・・・?
 『・・・いや、何も問題ねーじゃねぇか』
 頭の片隅で、もう一人の自分が囁いた。
 『図書館相手に暴れたんだ。そりゃ血も浴びるだろ。そんなことより、次の事考えようぜ』
 ・・・そんなことより?おいおい、そんなことじゃねーだろ。
 『そうか?だって図書館だぜ?遊びに行ったわけじゃねー。お前は図書館が憎いんだろ?ビビってるわけじゃあるまいし』
 当たり前だろ。誰がビビってるってんだ?・・・そうだよな、そんなことより、今はこれからのほうが大事だ。早いとこ図書館は全部潰さねーと。
 『そう、全部壊してやるよ』
 「そう、全部壊してやるよ」
 「―――い、おい!聞いてるのか!?」
 もう一人の声が消え、タチの声に我に返った。
 「・・・・ん、おお?んだようるせーな、聞こえてるよ」
 我に返ったものの、不思議と動揺は感じない。却って頭の中がすっきりしたような気分だ。
 「お前、<ゼロ>の自覚がないなら今知っておけよ!そいつはお前の中にいるんだ。お前の知らない所で、お前を支配して・・・・」
 執拗に話しかけるタチに半ばうんざりしながら、ラグナは再び歩き出した。
 「ちょ、真剣に聞けよ!お前だけの問題じゃないんだよ!」
 それでもタチは必死に追いすがってくる。
 「・・・あのなー。自慢じゃねぇが俺の脳みそは俺だけで容量パンパンな訳。分かった?だからもう一人、なんて器用に分譲してねーっての。そんな容量あるなら、俺は今頃どっかの国の王サマにでもなってるぜ。OK?」
 「じゃあさっきまでの事、覚えているのか!?自分がなんでこんなになってるのか、覚えているのか!?」
 「そりゃあお前・・・」
 その時ラグナは初めて足を止め、タチを振り返り、素早く彼の胸倉をつかんだ。
 「俺が図書館の連中に襲いかかったから、だ。思い出すもクソも、それ以外に何があるってんだ?<ゼロ>だか何だか知らねーが、俺にイチャモン付けてぇなら好きにしろってんだが、あんまりしつけぇとコッチもブチ切れるぜ」
 言い終わるや否や、乱暴に突き放す。
 「っ!!ちょっと待てって!!」
 慌てて体勢を立て直そうとしたもののバランスを崩し、タチは尻もちをつくような形で倒れ込んだ。
 その間に、ラグナの背はタチから遠ざかっていく。
 「ラグナ!!」
 タチの叫びがラグナを追う。その声はまるで悲痛な響きを持っていた。
 「いつか<ゼロ>がお前を喰い尽すんだ!そうなったら・・・!!」
 だがラグナは振り向きもせず、片手をひらひらと振った。
 「そんなヤツがいるなら、俺が逆に喰らってやんよ。じゃあな」
 そう応えつつ、もはやラグナの頭には次に向かうべき場所、次になすべき事しかなかった。
 第十三階層都市『カグツチ』。
 すなわち、ハジマリとオワリが交錯する地へ。

 タチはその場にへたり込んだまま、ただ茫然とその背が見えなくなるまで見送っていた。











 『さぁ、終焉を始めよう』