ねぇ、にいさん。気付いてた?
空はいつもそこにあるけど、
決して人の手には届かないんだ。
僕が生まれてから、ずぅっとそばに居てくれたひと。
にいさん。シュテルにいさん。
体が弱い僕のために、いつも一生懸命だったよね。
とっても嬉しかった。
僕にはにいさんがいつも一緒に居てくれる。
生まれた町の誰よりも幸せだったよ。
街の人達はみんなイライラしていて、怖くて、奪う事しか考えて無かった。
にいさんはそんな人達から僕を守ってくれた。
時には傷だらけになっても、僕をいつも守ってくれた。
ありがとう。
小さい頃、まだ僕らがほんの子供だった頃、町の路上で暮らしていたよね。僕らと同じように親がいない子達で寄り添いながら、みんなで生きていた時あったよね。
あの時、にいさんは年長の子達と一緒に、食べものや毛布を調達する為に頑張ってくれてた。
その間僕は他の小さい子達と一緒に帰りを待ってたんだけど・・・その時にね。他の子が言ってたんだ。にいさんは笑ったりしない、いつも怒ったような顔で怖いって。
後で聞いたら、年長の子達もみんな、にいさんのことよくそう言ってた。表情がなくて何を考えてるか分からない、こわいって。そのくせ、僕のことになるとものすごい勢いで怒るから、話しかけるのが嫌だって。
悲しかった。みんなにいさんのことを怖がってたんだ。
そんなこと、全然ないのにね。にいさんは泣いたり笑ったりしなかったけど、目を見たらわかる。にいさんが何を感じて、何を思っているのか、僕はいつも分かってたよ。でも周りの子達はそうじゃなかったんだ。
みんなに一生懸命、にいさんは怖くない、優しいんだよって何度も言った。でもみんな信じてくれなかった。悔しかったな。
分かってもらえないまんま、結局あの時のみんなとも離れ離れになっちゃったね。
にいさんとふたりぼっち。さびしくなかったけど、怖かった。にいさんは必死になって周りの怖い目から僕を守ろうとしてくれたけど、にいさんの体もまだ小さくて。
僕もにいさんの力になろう、迷惑かけないようにしようって頑張ろうと思った。
でも僕は、生まれつき身体が弱かったんだ。頑張ろうとすると頭がかぁってなって、胸がドキドキしてくる。息が出来なくなって、不思議な声が僕の耳を塞いじゃうんだ。
魔素のせい。にいさんが町のお医者さまと話していたのを聞いたことがあった。普通の人と同じようには生きていけない。きれいな空気とたくさんのお金が必要だって。
そのせいで僕はにいさんを手伝うどころか、余計迷惑をかけてきちゃったね。
それでも、時々発作で動けなくなる僕を見捨てずに、にいさんはずぅっとそばにいてくれた。
大好きだよ、にいさん。本当にありがとう。
小さい頃、僕は生まれつき身体が弱いだけで、それ以外は他の人と変わらないって思ってたんだ。
でもね・・・違ったね。
にいさんはいつから気付いていたのかな?
僕が男の人でも女の人でもないどっちつかずで、僕の体には男の人の部分と女の人の部分があったってこと。
僕自身が知ったのは、何年前だったかな・・・忘れちゃった。
覚えてるのは、路頭に迷った僕らを拾ってくれたおじさんがいたこと。
おじさんはとっても親切にしてくれたよね。
にいさんは初めずぅっと警戒してて、おじさんに心開いてなかったね。おじさん、すっごく困ってたの覚えてる?
僕は優しい大人に初めて会えて、すっごく安心したんだ。
ちょっとだけど食べものももらえて、眠る所まで用意してくれたおじさん。
僕たち、しばらくはおじさんと一緒に過ごしたね。
おじさんは普段はお仕事で家を空けることが多かったけど、その間は僕とにいさんとで家事をやるようになった。夜になるとおじさんが帰ってきて、三人でご飯を食べたね。
本当の『家族』みたい―――とっても幸せだった。
そのうち、にいさんも家の外に出て働くようになって、僕がお留守番をするようになったよね。にいさんは最初おじさんを警戒して、ずぅっと僕の傍から離れようとしなかったけど、やっとおじさんのこと信用してくれたみたいで嬉しかった。
優しいおじさんと、にいさんと、家族になれると思ってた。
―――でも、違ったんだね。
あの日、にいさんが出かけてしばらくして、珍しくおじさんが昼間のうちに帰ってきた。
酔っ払ってたのか、おじさんはご機嫌だった。
お酒を飲んだときのおじさんは、いつも笑ってたけど、僕は好きじゃなかった。眠そうな目でじっと見られるのが怖かった。
そのときも同じだった。ううん、違ってた。もっと怖かった。思えば、おじさんと二人きりは初めてだった。
おじさんはまるで人が変わったみたいに、僕に襲い掛かってきた。僕は必死になって逃げたけど、おじさんには適わなかった。
捕まった時何が起こったのかわからないまま、怖くて身体が固まっちゃった。
裸にされて、体中を触られた。
怖くて声が出なかった。でも、にいさんを呼ばなかったよ。僕はにいさんに迷惑かけてばっかりだから、にいさんを巻き込んじゃいけないって思ったから。
その時、怖いけどじっと堪えてたら、おじさんの声が聞こえたんだ。
「お前、おもしろい身体をしているな」って。
何のことだか分からなかった。僕は普通だったもの。でもおじさんは言ったんだ。「女の穴がある」って。
女の穴。
僕は自分がにいさんと同じだと思ってたのに、僕の身体は異常だった。初めて知らされた。
おかしいよね、男の人の身体なのに女の人の器官があるんだもの。
おじさんに無理やり脚を開かされて、無理やり手を引かれて自分のそこを触らされた。
あの、湿った感触。気持ち悪い。
いやだった。怖かった。自分のこと、にいさんとは違うということ、異常な僕の身体を知らされた。
おじさんは笑ってた。笑って見てた。
そのあと乱暴されて、それからのことは実はあんまり覚えてないんだ。
僕の身体はおかしい。他の人と違う。まるで世界から―――にいさんからでさえ切り離されてしまったみたいな気持ち。
おじさんにひどいことされたよりも、そのショックはすごく大きかった。
あのね、実を言うと僕は・・・「女の人」が嫌いだったんだ。
にいさんは顔立ちもきれいで、かっこいいから・・・いろんな女の人の目に留まったもの。実際に、何人かの女の人がにいさんに言い寄ってきてたよね。にいさんはいつも興味ないって、その人たちを相手にはしてなかったけど。
でも僕は、いつかその中の誰かがにいさんを連れてってしまうんじゃないかって思ってた。そうすると不思議だね、女の人の仕草一つ一つが、まるでにいさんに媚びてるみたいに思えて・・・嫌いだった。
でも。
僕も「女の人」でもあったんだ。
おじさんにひどいことされながら、いつの間にか夢を見てたよ。―――おかしいよね、乱暴されているのに。でも最初から悪い夢であってほしいって、思いたい気持ちがあったんだろうね。
夢の中で僕は必死になってにいさんを探してた。痛くて怖くて寒くて、にいさんがいなくて。そんな夢。
必死になってにいさんを呼ぶんだけど、声が出なかった。代わりに気持ち悪い喘ぎ声みたいな声が聞こえた。おじさんの息遣いもね。
でもやがてなんにも感じなくなって、痛みも寒さもなくなって、聞こえてた声も何もなくなって、僕は真っ暗な闇の中に一人取り残されたんだ。
僕の体の奥が熱かった。何かが目を覚ましてしまった。僕の「女の人」が目を覚ましてしまった。
怖い怖い怖い怖い怖い。
僕は自分の身体が怖かった。ぎゅうって、縮こまって消えてしまいたかった。けど、僕の「女の人」はどんどん膨れ上がってきた。
「女の人」になっちゃうと、にいさんは僕を見捨てちゃうんじゃないかって思った。にいさんに言い寄ってきた人たちみたいに。
自分が気持ち悪くて怖くて、にいさんに置いていかれると思ってた。
その時・・・にいさんの声が聞こえた。僕を呼んでた。
暗い夢の中に光が灯ったんだ。ああ、にいさんだ。にいさんが僕を探してる。行かなきゃって。
やがて、僕の中ににいさんが入ってくるのが分かった。怖くて目を覚ませなかったけど、にいさんがすぐそこにいるのが分かったよ。
にいさんは怖くて震えているみたいだった。にいさん、あのとき怯えてたの?泣いていたの?いつも強くて優しくて、守ってくれてたにいさん・・・でもその時のにいさんは、初めて感じるにいさんだった。
震えるにいさんを、僕は抱きしめてあげた。
その時、思ったんだ。
僕がにいさんの足手まといになってるんじゃなくて。
こんな気持ち悪い身体でも、にいさんは僕を置いていかないって。
にいさんのそばには僕がいなきゃダメなんだって。
だってにいさんはこんなにも怯えていて、僕が包むと安心したようになって・・・
これって思い上がりかな?
ねぇ、にいさん・・・・
それから、おじさんの家を飛び出して、今度はにいさんが自分でお仕事を見つけて、ようやく二人だけの家を手に入れたね。
にいさんは前以上に家を離れてお仕事に行くようになった。僕は一人でにいさんの帰りを待った。
本音を言うと淋しかったんだけど、そんなこと言ったらにいさんが困っちゃうものね。
でも、怒らないでね。独りの時間が増えて安心したこともあったんだよ。
それはね・・・月に一度、僕が「女の人」だってことを思い出させることがあったから。
やっぱり気持ち悪かった。
どんなににいさんが僕の傍にいてくれても、僕は僕の身体が気持ち悪かった。
お腹が重くて、血が出て。
なんで僕はこんな身体なんだろう、にいさんと同じじゃないんだろうって、コレが来るたびに憂鬱な気持ちになったんだ。
そんな気持ちを抑えるのが大変で、そういう時はあんまりにいさんと一緒にいたくなかった。
だから、にいさんが仕事で忙しくて家を空けることが多くても、そういう時はほっとした。
でもいつもは違ったんだよ。いつもはにいさんと一緒にいたいって思ってた。だから正直言えば、にいさんがいないと寂しくて仕方がなかった。でも、そんなこといっちゃダメだって分ってた。だって生きていくためには、仕方なかったんだもんね。
だからなおのこと、にいさんと一緒にいる時間が嬉しかった。仕方がないって分ってても寂しいものは寂しかったから。
にいさんは僕を愛してくれた。
初めは怖かったよ。あの、おじさんの事を思い出したから。
でもにいさんは、あのおじさんとは違った。ちょっといじわるだけど、優しくしてくれて。
そのときは僕の「女の人」も大きくなるんだけど、僕も嫌じゃなかったんだ。にいさんに求めてもらえるのは、僕は嬉しかった。「女の人」も「僕」も関係なかったんだ。にいさんに愛してもらって、他の女の人には叶わない僕たちの絆が出来たって思ってたから。
そして―――
ある日、僕の中の「女の人」が笑った。僕のお腹の中で、「女の人」が何かを抱えていた。僕のお腹の中で、トクントクンって何かが動いた気がした。
にいさんは知らなかったよね。
僕、妊娠してた。
僕の体は「女の人」でもあったから、当然といえば当然だった。
初めて気付いた時はそれが妊娠だって分らなかったけど、すっごく気持ち悪かった。
体の中に何かが住み憑いたような感覚。
日に日に、「女の人」になっていってしまうような感覚。
お腹の下で何か淀んで渦巻いているような感覚。
その日の夜、夢を見たんだ。
僕のお腹の中から、得体の知れない何かが僕を呼んでいる。呻いて呻いて、お腹を突き破ろうとしている。
僕は何度もナイフでお腹を刺すの。もちろん、夢の中だけどね。
それでもその何かが泣き止まない。呻くのをやめてくれないんだ。
朝、夢から覚めても気持ち悪いのは変わらなかった。夢の中で呻いてた何かが、まだ僕の中にいた気がした。
その時の僕はね、気持ちが動転してたんだ。だから、トイレに駆け込んでその何かをお腹から引きずり出そうと思ったの。「女の穴」から指を突っ込んでね―――馬鹿でしょ。でもその時は必死だった。まるでそうしないと自分が何かに占領されてしまいそうで。
何度も何度も、僕は自分の―――「女の人」の中をほじくった。それでも何も掴めなくて、気持ち悪いあの湿った生暖かい感触しかなくて。
僕はどうなってしまうんだろう。
きっと僕は、また体が変になってしまったんだと思った。
このまま、他の魔素中毒の人みたいに、どんどんおかしくなってしまうんだ―――
怖かった。でもにいさんには言わずにおいたんだ。
にいさんが出かけたあと、こっそり町のお医者さんに行ったの。
その途中で、何度も他の人が僕を見てる気がした。クスクス笑って。
―――ホラ、あそこにオトコオンナがいるよ。
―――あいつ、変な体してるよ。
そう言って笑ってる声が聞こえた気がしたんだ。
初めて独りでお医者様に会いに行った。
お医者様は僕の魔素の発作が起きた時にお世話になってたから、僕の体のことも知ってた。だから、にいさん以外に相談できる唯一の人だったんだ。
お医者様が僕を診てくれた。
そのとき知ったんだ。
―――妊娠したって。
びっくりした。
そして、気持ち悪かったのが嘘みたいに消えて、僕は幸せな気持ちになった。
もしかしたら―――にいさんの?
そう思うと、とっても嬉しくなったんだ。
大好きなにいさんとの絆が、かたちになった。
―――でもその時、お医者様は僕に言ったんだ。
無事に産める可能性が低い、って。
無事に産めても、魔素が胎児にどんな影響を与えるか分らない、って。
お医者様の言葉は、僕を突き落とした。
そうだよね。僕の体は普通じゃないんだから。
にいさんと僕の絆。かたちにできたら、幸せだったのに。
僕の体。どうしてこんな。
僕は。
このとき、初めて誰かの前で泣いちゃった。
でも泣いても仕方がなかったんだ。現実は変わらなかった。
僕はお医者様と相談して、お薬で―――僕とにいさんの絆を、流してしまう事に決めた。
つらかった。
悔しかった・・・でも、どうしようもなかった。
今の僕じゃ、幸せにしてあげられないんだから。
お薬を飲んだあと、僕はお医者様に言ったんだ。
―――僕は絶対にきれいな体になります、って。
お医者様は、笑って聞いてくれた。
でも、分ってた。このままじゃ、お医者様にもどうにも出来ない。
本当に治療するには、もっとお金が必要なんだって―――
―――こんなことがあったなんて、にいさん知らなかったよね。
でもあるとき、僕がにいさんとエッチしたがらなくなった時あったでしょ。それがね、この事があったからなんだ。
でもにいさん、結局強引に押し倒してきたけど!
にいさん、ひとの気も知らないでって思ったけど―――やっぱり嬉しかったな。
こんな体の僕でも、にいさんは変わらずに愛してくれたから。
辛い記憶―――でもにいさんと一緒だったから、僕はそれでも幸せだと感じてたよ。
・・・その頃だったっけ、トウヤに出会ったのは。
にいさんはトウヤのこと嫌いだって言ってたね。僕をどこかに連れて行こうとするから、って。
僕はね、トウヤのこと嫌いじゃないよ。こんなこと言ったら、にいさんはまた怒るだろうけど・・・にいさんとは違う感じで、好きなんだ。
初めは同情されてるのかと思った。僕が「魔素中毒者」で普通じゃないから、かわいそうだから病院に入れてあげるって言われてるのかと思った。
でもね、にいさん・・・トウヤはそうじゃなかったみたい。僕の事、本気で考えてくれていたんだ。
嬉しかったな。
にいさん以外で僕の事、本当に想ってくれていた。他の人たちは僕をいやらしい目でしか見てなかったけど、トウヤだけは違ったんだ。
あ、もちろんにいさんも、だよ。
それにもちろん、僕の中でにいさんが一番だった。
―――でもね。
にいさん、ある日を境に変わっちゃった気がした。
いつかにいさん、血だらけで帰ってきたことあったよね。
あの時にいさんは何でもないって言ってたし、血だらけだったけど怪我はしてなかったけど・・・
一瞬ね、にいさんの後ろに黒い男の人が見えたんだ。笑ってたよ。
その日からにいさん、何か怖く感じるようになった。
にいさんの右の目が、時々真っ赤に見えるときがあった。
何があったの?って聞いても、にいさんは何もないよ、って答えたよね。まるでにいさんは気付いていないかのように。
にいさん・・・魔道書を拾ったんだね。
僕には話してくれなかったけど、分かった。僕の中の魔素がザワザワする感じがしたもの。
でもどんなに怖い感じになっても、術式を使えるようになっても、にいさんからは時折、あの怯えたような感じが伝わってきた。ううん、もっと怯えて見えるようになったんだ。
まるで何かに取り憑かれたみたいだった。
ああ、にいさんは僕と離れるのが怖いのかな―――そう思った。
僕はにいさんが大好きだ。だから離れたくない。離れるつもりなんてない。
でも、―――でも。
僕の中でその時、何かしこりみたいなものが浮かんだんだ。
このときから始まったのかも。僕の迷いは。
もしかしたら、もしかしたら。
―――僕は、もうにいさんを―――
・・・ゴメンね。ここから先は、もう少ししたら話すね。
そういえば、にいさんは僕に仕事のこと何も話してくれてなかったよね。
でもこのあいだ、僕らがあの町にいられなくなっちゃったあの日、何人もの男の人たちが家に来て、教えてくれたよ。
マフィアだって。にいさんはその中でも最低の仕事してたって。
ひどいことたくさんしたんだってね。
ショックだった。
僕のためにしてくれた事だって、わかってはいたけど。
いろんな人の命を奪ったり、お父さんやお母さんを殺した人たちと同じようなことをして、それでお金を貰ってたんだね。
嬉しくない。嬉しくないよにいさん。
僕の命と他の人の命や人生を天秤にかけないで。
どっちが大事なんて、分かるはずないんだよ。にいさんのその天秤は、もう壊れてたんだから・・・
―――話が逸れちゃったね。
家に来た男の人たちは、僕を連れ去りに来たみたいだった。
どこに連れていかれるか分からなくて抵抗したけど、敵わなくて・・・また、ひどいことされた。
―――僕がこんな身体だから。
乱暴されている間はね、ずぅっと考えてるんだ。頭と体を切り離して、ね。
―――どうして僕はこんな目に合わなきゃならないんだろう。
―――僕が何か悪い事をしたんだろうか。
―――僕が生まれてきたことに対する罰なんだろうか。
そうやって自分の心の中で考えてれば、どんなにひどいことされても我慢できたんだ。
その時もそうだった。
にいさんにだけは心配掛けちゃいけない。この人たちは気が済んだらどこかへ行くだろうから、そしたら何事も無かったようにしておかないと、にいさんが心配しちゃう・・・そう思って、じっと我慢してた。
でもその時、にいさんが来てくれたよね。
血まみれの兄さんが駆け込んできて、僕を取り囲んでた男の人たちが驚いて――――あっという間に、にいさんは男の人たちを殺しちゃった。
にいさん・・・昔よりもとっても強くなってた。でも返り血で真っ赤になった兄さん―――怖かった。
そのにいさんにね、またあの黒い影が見えたんだ。
それでね、その時のにいさんの顔・・・まるで泣いてるみたいだった。うぅん、怯えてたのかな。たぶん、にいさん自身は分からなかったと思うけど・・・僕にはそう見えたよ。
だからね、僕、にいさんの気持ちを落ち着かせてあげたくて。
それであんなことしたんだ。よく考えたら、他の人に乱暴された後だったのに。
あの時のにいさん、必死になって僕を呼んでたね。覚えてない?何度も何度も呼んでたよ。
僕とにいさんが繋がってるうちに、だんだん黒い影がなくなって、にいさんが僕の中にいっぱい溢れて・・・それから、二人して意識、なくしちゃったね。
僕が目を覚ました時、にいさんは隣で眠ってた。その時ね・・・・にいさん、やっぱり覚えてないと思うけど、泣いてたんだよ。にいさんの涙、初めて見た気がした。
そのにいさんの寝顔を見て、僕ははっきり思ったんだ。
あんなに必死で、あんなに怖くて、あんなに―――壊れてしまったにいさん。
―――怒らないでね、にいさん。でもね、そう感じたんだよ。にいさんは普通じゃなくなっちゃってるって。
にいさんはね、壊れてしまってるよ。大事なものも、見えなくなってる。気付いてなかったの?
―――でも分かってたよ。にいさんをこんなにしてしまったのは、僕のせいだって。僕の為に、にいさんはこんなになってしまった。
そしてね、僕が前から感じてた迷いが―――しっかり輪郭を持ってしまった。
僕は、にいさんが大好きだった。愛してたよ、とっても。でも、その時は―――もう、僕はにいさんを愛してるんじゃなくて・・・哀れんでるのかもしれないって思った。
でも、初めから正しい形なんて何もなくて、にいさんは壊れてしまっても僕を想ってくれていて、僕にはにいさんしかいなかったんだ。
だから僕は、この先もずぅっとにいさんと一緒にいようと思った。
愛してるから一緒にいたい―――初めはそう思っていたのに。
可哀相だから一緒にいてあげよう―――いつしかそんな思いになってた。
ひどいよね、エゴだよね。僕は。
愛してた気持ちは確かにあったのに・・・僕は震えるにいさんに、「一緒にいて上げられるのは僕だけ」って思いを抱いてた。
こんな僕でも誰かを救える―――それは、思い違いの優越感。
―――でもにいさんは、怒らないんだろうね・・・きっとそれでもいいって、言ってくれる。
あれから、にいさんが目を覚まして、この町を出ようと行った時、僕はうん、って頷いた。
そして二人で、町を逃げ回って、何度も怖い思いをしたね。町中の人たちが僕たちを追いかけてきた。
あの時、初めて町の誰からも必要とされてないって知ったよ。でも僕はにいさんが必要としてくれていた。それだけが僕の支えだった。
それからあの町を―――生まれた町を、二人で飛び出したね。
その時にはたくさんの人に―――にいさんのいた組織の人や、にいさんに懸けられた賞金が目当ての人、そして統制機構の人。
みんながみんな、僕たちを追っていた。
色んな人から逃げて疲れて、僕もにいさんもヘトヘトになって、とうとう行くところがなくなっちゃったよね。
あの時、にいさんはうわ言みたいにずっと呟いてた。
―――空へ行こうって。
おまじないみたいな言葉。本当に、空には希望があると思えた。
それから僕らは、ただ空を目指したね。
にいさんの腕に引かれながら、僕はにいさんの薄水色の髪と、その向こうの薄水色の空をただ見上げてた。
町を出て、オリエントタウンを抜けて・・・初めて上の町を見た。
そこは僕たちが生まれ育った町よりもずっとずっときれいで、人々が幸せそうで―――僕たちを見たらみんな、びっくりして逃げ出しちゃったけど―――まるで僕たちがいた世界なんて知らないみたいだった。
どうして僕たちはこっちの世界に生まれなかったんだろう―――初めて劣等感感じちゃった。情けないけど・・・
追いかけくるのも、にいさんのいた組織の人たちの姿がなくなって、賞金を狙った人もいなくなって―――今度は統制機構の人たちだけになった。
そんな中を、にいさんは大きな剣をふるって奔ってた。その度に赤い色がたくさん咲いて、まるで―――曼珠沙華みたいだった。
赤い世界をにいさんが切り裂いていく。
僕はにいさんを本当に愛していたんじゃないかもしれない。そんな僕はにいさんと一緒にいる資格ないかも知れない―――その迷いがね、そんなにいさんを―――たった独りで戦ってる、僕のただ独りのにいさんを見ているうちに、ちょっとだけ薄れたんだ。
どんなに壊れてしまっていても、どんなに哀れでも・・・正しい愛のかたちなんてない。
にいさんの後を走りながら、僕は思った。壊れたにいさんと、壊れた僕たちの気持ち・・・このまま空の涯てに行こうって。空に辿り着いたなら、にいさんは僕への思いから解放される。だから早く、空へ。空へ。空へ――――
そんな時、名前も分からない大きな通りを、にいさんと僕が走ってた時―――トウヤがいた。僕たちを、待ってた。
にいさんの肩越しに、トウヤと目が合った。にいさんは、気付いてなかったよね。
トウヤの顔を見るたびに僕は、胸が苦しくなったんだ。その時もそうだった。
にいさんへの薄らいだ迷いが、心の淀みから浮き上がってきちゃった。
まっすぐに見つめるトウヤの青い瞳。にいさんとは違う眼差し。僕に向かって真っすぐ伸ばされる手。
思わずトウヤと一緒に行きたくなったこと、実は何度もあるんだ。でもそのたびに、にいさんを思い出して踏みとどまった。にいさんを置いていけなかったもの。
いつもにいさんとトウヤは会うたびに戦ってたね。そしてこの時も。
そういえば、トウヤはいつも正面からにいさんに挑んできたよね。僕を連れていきたいなら、にいさんがいない間に連れて行っても良かったのに。
優しいトウヤ。壊れてしまったにいさん。僕はどうするべきだったんだろう。もし戦った結果、どちらかが死んでしまったら―――僕はどうしただろう。
結局その時は決着がつかないまんまだったね。統制機構の攻撃に邪魔されて終わっちゃった。僕は安心したけど。
あの時の事は、にいさんも覚えてるよね。だって突然僕がにいさんの腕を振りほどいて、飛び出して行ったんだもの。
僕はあの時、本当に咄嗟だったんだけど・・・トウヤを守りたかった。
すごい爆発が起きて、僕はにいさんから離れて、トウヤを見つけて、瓦礫がわぁって舞い上がって―――
気がついたら、トウヤを抱えて蹲ってた。
トウヤはそれからすぐに目を覚ました。
やっぱりトウヤは、僕を心配してくれていた。ボロボロになったのに、それでも僕の事を想っていてくれていた。
嬉しかった。
今までにいさん以外の人は、優しさの裏側に何かを隠していた。だけどトウヤはこんなにも真っ直ぐで。
でも僕には、にいさんがいた。にいさんを置いていけない。このままじゃにいさんは壊れたままだ。
もうすぐ空に辿り着く。そうしたら、きっと。
空はにいさんを癒してくれるはず。僕の為じゃなく、にいさんのために、空へ。
僕が迷うのは、それからだって思った。
でも、そうして背を向けた僕に、それでもトウヤは言ってくれたんだ。
―――ユキを護りたい。
僕にはにいさんだけじゃない、トウヤもいてくれるって。
嬉しかった。
振り向いて、トウヤのそばに走りたかったよ。だって、それまで世界で僕を必要としてくれる人は、にいさんしかいないと思っていたから。
でも、僕は振り向かなかった。
だって空はもうすぐ。にいさんを解き放てるのはもうすぐ。
にいさん、僕を助けたいってずっと思ってくれてた。その思いを、遂げさせてあげなきゃ。
僕は走ってにいさんを探しに行ったんだ。―――本当は、走らなきゃトウヤを振り返っちゃいそうだったからだけどね。
僕と、にいさんと、トウヤ―――本当は僕たち、どうすれば、よかったんだろうね。
それから、僕たちは―――多くの人たちを傷つけて―――カグツチの、一番上にまでやって来た。
そこから見る世界はとっても広くて、見下ろすカグツチの街並みはとってもきれいで。
そして、空はとっても青かった。僕たちを包むみたいに。
実はねにいさん、こんな青、僕は知ってたよ。
それはね、にいさんの目の青。トウヤの目の青。優しかった、優しい色・・・
風が心地よくて、世界は広くて、青は優しくて――――
そのときだったね。
僕と、にいさんの体が、はじけ飛ばされた。体にいくつもの痛みが走った。
いくつもの熱い光が、僕とにいさんを貫いてた。
にいさん、って呼んだ声が、届いてた?
僕はにいさんと離されて、地面に叩きつけられた。
光が飛んできた方には、たくさんの人がいた。統制機構の人たち。
その先頭に、真っ白な制服の人がいた。僕を見てた。
地面に、真っ赤な、真っ赤な曼珠沙華。どんどん広がった。
にいさんが倒れてたのが見えた。新しい赤に染まってた。
それでもにいさんは、ゆっくりと起き上がろうとしてたね。
僕はにいさんに伝えたかった。
―――もういいよ、にいさん。もういいよ。
―――空はね、やっぱり空は僕らには遠かった。だから・・・もういいよ。
にいさんは立ちあがって、ボロボロの体で、僕と、統制機構の人たちの間に立った。僕に背を向けて。
統制機構の人たちは、銃を構えていた。
真っ白な制服の人が、片手を上げたのが見えた。そして、指先をにいさんに向けて振り下ろしたのも。
それを合図に一斉に銃声が響いた。
放たれた光がにいさんめがけて飛んできた。ゆっくり、スローモーションみたいに見えた。
にいさんの体が貫かれた。それでもにいさん、倒れなかったね。
―――もういいよ、にいさん。
僕の声は届いてなかったね。
にいさんの傷口から、赤い血じゃない、黒い影が溢れて来た。
統制機構の人たちは、発砲を止めなかった。
でもにいさんも、倒れなかった。
にいさんが影を纏って走っていくのを、僕は倒れて見ていた。
真っ白い制服の人が、剣―――トウヤと一緒の、刀だった―――を抜いたのが見えた。
―――やめて。
叫んだけど、届いてなかったね。
僕の目の前で、にいさんと黒い影が、白い光で真っ二つに―――
にいさんの声。聞えなかった。
僕の声。届かなかった。
にいさんの体が、どさっと倒れた。僕のそばに。
もうにいさんは覚えていないかな。
にいさんの口から血がいっぱい出てて、お腹がざっくり斬られてて・・・
空の青は、ずっときれいだった。
にいさんの青は、赤く染まってた。
僕の体は、言う事を聞いてくれなくて、にいさんのそばに行けなかった。
空はあんなにきれいだったのに、僕とにいさんは―――
体を引きずってでも、にいさんの近くに行きたかった。
だってにいさんは、僕のにいさんは、壊れてしまっていたけど、にいさんは―――
僕の手。にいさんに届く前に、誰かが僕を呼んだ。
トウヤだった。
にいさんを、真っ白い制服の人と何人かの統制機構の人が取り囲んでた。
トウヤが、僕を見下ろしていた。僕を呼んで、抱きしめてくれた。
―――にいさんが。にいさんを、助けて―――
僕は勝手だね。
にいさんのこと哀れんで、にいさんを止めないで。
にいさんのこと、こんなに壊してしまって。
それなのにトウヤにも惹かれていて。
僕は―――
僕は、にいさんを愛してたの?
でもにいさんは―――僕を好きでいてくれた。愛してくれた。
にいさん、にいさん―――僕の、大好きなひと。
やっぱり僕も、にいさんを愛してる。愛してるんだよ。
小さい頃からずっと一緒だった。
こんなに胸が張り裂けそうなんだ。
にいさん、にいさん―――
トウヤ、にいさんを助けて。お願い、にいさんを―――
僕は目が覚めた。
真っ白い天井。真っ白いカーテン。カーテンの隙間からは、真っ青な空。
きれいな青。優しい青。優しかった青。
「目を覚ましたんだね」
優しい声がした。
僕が声のした方を見ると、微笑んだトウヤがいた。
静かだった。
ああ、そうか。僕は今まで、夢を見てたんだ。長い長い、悪い夢。
「もう少し休んでた方がいい。ゆっくりしてて」
優しいトウヤ。空の色みたい。
―――あれ、もう一人、優しい空の色。僕は、夢の中でその人に語りかけてた気がする。
優しくて、さびしげな、僕の―――
頭がぼぅっとして、思い出せないや。
トウヤがそんな僕を覗き込んだ。
「ぼーっとする?きっと薬がまだ効いてるんだ」
薬?何の薬?僕の発作の?
―――違う。発作の薬じゃない。
体が痛い。あちこち、熱があるみたいに。
僕、怪我をしてる。どうして―――
「動いちゃダメだ」
トウヤの声。優しい声。
なんだろう、トウヤ、僕に何か隠してる。
体が痛い。でもそれが頭をすっきりさせてくれる気がする。
だからお願いトウヤ、止めないで。
僕は大事な事、忘れてる気がするんだ。
大事な事。
大事な。
―――大事なひと。
空の青。優しかった青。
にいさん。
僕のにいさん。
倒れたにいさん。赤く染まってた。
にいさんを取り囲む人たち。真っ白い人の刀が、真っ赤だった。
にいさんの、口から血が。
血がいっぱい出てた。にいさんの血。
僕も体が痛かった。心が痛かった。
空はそれでもきれいな青で、にいさんを癒してくれなかった。
あれから―――あれからどうなったの?
僕は―――にいさんは?
どうして僕はここにいるの?トウヤ、教えて。
あれからどうなったの?
「―――今は眠った方がいい」
いやだよ、教えて。
にいさん、あのままじゃ死んじゃう。
僕の為なんだ。にいさんがあんなにひどいことしたのは。
僕の体が弱くて、町では生きていけないから。
だからにいさんはそのために、僕の為にあんなにみんなから嫌われて、追われて、傷付いて、壊れて。
にいさんはどこ?
「ユキ。シュテルは・・・もういない」
―――何を言ってるの?
にいさんはどこにいるの?
お願いだからトウヤ、隠さないで教えて。
「・・・もういないんだ」
―――そんな。
どうして?
にいさんを、助けてくれなかったの?
「・・・君の手当てが最優先だった―――シュテルの方は、大佐が―――僕の上官が引き受けたから・・・あの後のことは分らない」
君の上官・・・真っ白い制服を着た、あの人だね。
じゃあ、その大佐さんに会わせて。
にいさんをどうしたのか教えて。
「アレはS級クラスの魔導書を持った危険人物。我々はアレを処断するべき対象と認識した」
「大佐!」
あなたは・・・あの時、にいさんを斬った、あの人ですね。
「当然の処置だ」
「大佐、彼はまだ目覚めたばかりです。休ませて下さい」
いいえ、いいんだトウヤ―――聞かせて下さい。
あのあと、にいさんは―――死んだんですか。
「いいや」
―――本当ですか!?
にいさんは生きているんですか!?
じゃあにいさんに会わせて下さい。にいさんに―――
「それは無理だ」
どうして?
にいさんは生きてるんでしょ?にいさんに会わせて下さい。
もう空に行かなくてもいいって、言わなきゃ。
もういいよって、にいさんに伝えなきゃ。
僕はにいさんにずっと、もういいよって、言ってあげられなかった。
だからにいさんは、あんなになって―――
「下らんな」
「大佐!」
「目標を処断した。が、その後―――逃亡した。依然、S級の魔導書を所持したまま、な」
―――逃亡?
「貴様は今や、重要参考人だ。目標の行先を知る手がかりとなる」
「大佐、待って下さい。彼はまだ傷が」
にいさんは、生きているんですね。でも、ここにはいない。
ああ、にいさん・・・
「そういうことだ。すぐにでも貴様には協力してもらう」
「お言葉ですが、大佐―――」
「黙れ。今や目標は魔導書に取り込まれている。時間が惜しい」
取り込まれているって、どういうことですか!?
「ユキ、君も分かるはずだ。シュテルの持っていた魔導書。あれは危険すぎた。暴走したんだと思う」
暴走?にいさんの持ってた魔導書が?
「あれはどこにも記録がない。原典シリーズのコピーか、もしかしたら・・・」
「少佐、参考人に要らんことを喋るな」
待って下さい。
にいさんは生きていて、魔道書が暴走してしまって、どこかに行ってしまった。にいさんを探す為に、僕の協力が必要。そういうことなんですね?
「そういうことだ。貴様は奴が行きそうな場所を知っているはずだ。答えろ」
・・・にいさん、僕のにいさん。
体の弱い僕の為に、小さい頃から頑張ってくれたにいさん。
だんだん壊れてしまったにいさん。
空に届かなかったまま、にいさんは生きている。
きっと、僕を探してる。
もっと壊れてしまっていても、にいさんは僕を探してるんだ。
わかりました、協力させて下さい。
―――いいえ、僕も一緒に行かせて下さい。にいさんが暴走してるなら、僕もにいさんを止めたい。
「何?」
「ユキ、君は・・・!」
今までにいさんを止めなかった、僕がいけないんだ。
にいさんの為だと思って、全部受け止めようとしてた僕。
それがにいさんに安らぎをあげられると思ってた。でも違ったんだ。
にいさんは壊れてしまった。
そして今は、にいさんのせいじゃない、魔導書のせいで苦しんでる。
今度こそ僕は、にいさんを止めたい。
今度こそ僕は、もう一度にいさんを愛したい。
僕も一緒に行かせて下さい。
せめて僕がにいさんに出来ること。
にいさんを「僕」から解放してあげることなんだ。
「でもユキ、君の体は・・・」
分かってる。
この街で一番空の近くに来ても、僕の体は楽にはならない。
でも僕がやらなきゃ。
「ユキ・・・」
「―――ならば統制機構に志願するか?」
・・・え?
志願、ですか?
「そうだ。そうすれば統制機構の治療を受ける事が出来る。民間の施設よりも優れた治療だ。ただし、統制機構の任務に就く事を条件にな」
統制機構・・・
でも僕は、トウヤやにいさんほど戦えません・・・
「貴様の治療をしている間、適性を検査した。結果として魔素の濃い体は術式を扱うには非常に適しているといえる。あとは貴様の才能次第だが」
・・・そうすれば、僕は治療してもらえる。そしてにいさんを探しに行く事も許してもらえるんですね。
「貴様が衛士としての素質があれば、だ」
わかりました。志願します。
「ユキ!」
止めないで、トウヤ。
確かに僕みたいな頼りないのがいても、足手まといになるだけかもしれないけど。
でも僕は、僕に出来る事をしたい。
今までにいさんにずっと守ってもらってた分も。
僕は今まで何もしないで、周りが導いてくれた結果だけを受け取ってた。それで、ああすればよかったとか、こうすればいいのにとか考えてばかり。
にいさんのこと、哀れんでたくせに何もしてあげないで、ただ「そばにいてあげてる」だけで救ってるつもりになってて、トウヤに惹かれたりしてるくせに、にいさんがいなくなって初めて、愛していたって気付いて・・・
こんな僕だったから、僕はいかなくちゃ。
今までは、あの空に希望をつなげて、それで生きてきた。
でもあのきれいな空は、きれいなままで、いつか夜がくれば暗く沈んじゃう。届かない。
だから今度は、にいさんにとって僕が本当の意味で空になりたい。
にいさんを解放してあげる空に。
だから、僕も戦う。強くなる。
僕の願いは、レイ大佐に聞き届けてもらえた。
あれから僕の怪我が良くなってから、トウヤが僕に一振りの刀を持って来てくれた。
氷刀、ウララ。
僕の体の魔素を抽出して合成したらしい。
鞘から振り抜くと、凛とした刃の音が耳に気持ち良かった。
あれからね、にいさん。
僕は強くなったよ。
医療部で治療を受けながら、いろんな訓練をしたんだ。
難しかった術式も、少しずつ使えるようになったよ―――まだまだトウヤには及ばないけど。
剣術や体術も、トウヤが付きっきりで教えてくれた。
そうしながら今までは、簡単な任務をこなしながら、にいさんのことを探してたんだ。
そして、やっと。
やっとにいさんの噂を聞いた。
もうすぐ会えるね、にいさん。
今までずっと僕の為にありがとう。
大好きだよ、にいさん。
もうすぐ行かなきゃ。
にいさんが待ってる。
僕はウララを携えて、扉をくぐった。
扉の先で、トウヤが待ってた。
出発だ。
待ってて、にいさん。
僕が助ける。にいさんを、解放する。
「空」への想い、僕への想いから。
魔導書の影から。
大丈夫、にいさん。
僕は笑ってる。強くなったよ。
空に届かなくても。
今度はにいさんを僕が助ける。
例え、刃を交える事になっても。
SIDE. YUKI Fin.