暗い。
男が目を覚ますと、目の前には自分が立っていた。
黒く染まった自分。赤い右目だけが、爛々と輝いていた。
さて、茶番は終わったな。
お前が望み、お前が求めたものの、これが結果か。
どうした?
怒りを感じているのか?理不尽だと?こんな結果になるはずがないと?
ふん、ばかばかしい。
では聞くが、この世に理不尽でないものがあるのか?
すべては「理由」というレッテルを貼られた理不尽な出来事にすぎない。
それは或いは死、そして生も同じだ。
お前はその理不尽を踏み越えて、望みを追った。
そのお前が世の中の理不尽に憤る資格があるのか?
・・・ふふ。まあ今回はお前をいびりに来た訳ではない。
さて、お前はお前の望みの涯てを見た。どのような形であれ、結末は訪れた。お前の望んだ涯てにお前の望みが叶えられなかったとて、すでに幕は引かれたのだ。
それなのに、お前はまだ抗うのか?
すべては予定調和の上に描かれた。お前が選択してきたこと、お前以外の者が選択してきたことが必然的に絡まりあい、導き出された結果なのだというのに。
それに抗う事こそが、お前のその意志こそが理不尽だと、何故思わない?
―――では何故俺がお前に力を貸したのか、だと?
俺がいつお前に力を貸したというのだ。魔道書?―――あれが魔道書に見えたのか。つくづく―――貪欲な生き物だ。
あれは神秘と科学の成せる人の作りし奇跡など―――魔道書などではない。そう見えたのならば己の種を呪うがいい。己の運命を変える「何か」を絶対的な「力」に求めてしまう、人間という種を。
あれはお前だ。お前の中にあった願望だ。
守りたいなどという至極崇高な気持ちでさえ、人の中では黒い淀みと変わるのだ。
それをただ少し、俺が引き出してやっただけだ。俺が与えたのではない。
俺はただ、単純にお前が何を望んでいるのか知りたかっただけだ。全てはお前の願望だ。
お前は「大事なものを守りたい」という願望を武器として変えたのだ。その願望を叶える為ならばそれ以外の何者をも退けるために、刃へと、牙へと、怒りへと、変えたのだ。
気付いていたのだろう、それがお前の大事なものを怯えさせていたことに。
だがお前は、それすらもお前の中で退けた。お前の願望に勝るものはないと。
何と醜く、何と愚かなことか。
お前には運命の理不尽を嘆き怒る資格など無いのだ。愚かで浅はかな、お前には。
―――だが何といとおしいことか。
醜いお前のその意志は、何と芳しいことか。
それでもなお、願っているのだな。
もはやその願望がお前を喰らい尽くそうとしているというのに。
壊したいほど愛しいのか。壊れてしまうほど愛しいのか。
―――ああ、お前はやはり俺の愛ぐし子だ。
俺はお前を迎えに来た。だがやめだ。お前は死をも感嘆させるほどの愚かさと愛しさをもっている。
いくがいい。
白と黒、生と死を超えるがいい。
そして絶望しても尚、願い続けるがいい。
醜さから目を背け己の願望すら捨て去る屑に比べて、お前は愚かしくも美しい。
それが「人間」が忘れてしまった姿。
願い続ける醜さを超え、「生きる」ことを選び続ける姿、それは穢れない「獣」の姿。
諦めという言い訳など、お前を縛る事はない。
もはや理由すら、お前には必要ない。
さあ、いくがいい。
男は吼えた。
己の「願い」から放たれた奔流が、体を駆け巡っていく。
自分を戒めるすべてを振り解いていく。
視界が開けた。
「―――何が起こっている!?」
何者かの叫び声。
「魔素値が異常に上昇しています!これは―――」
何者かの叫び声。
うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
男は悠然と立ち上がった。
そして、ただ願った。
願った。
願った――――何を?
ただ分っていた。周りのものは「願い」に邪魔なもの。
男は周囲の邪魔なものを力ずくで押しのけた。
―――誰も邪魔をするな。
男は青い空に向けて跳躍した。
「願い」、それを叶える為だけに。
その男の瞳に、もはや空は映っていなかった。
「久しぶりだね、にいさん」
鈴音のような声が、宵闇が包む通りに響いた。
第十三階層都市カグツチの上位階層を通る、オキツ通り。
その通りは静まり返っていた。
夜の闇のせいではない。男が纏った闇に、全てが怯えているようだった。
「―――ユキ」
男が呟く。
鈴音の声の持ち主は、呼ばれて柔らかに微笑んだ。
薄桃色の髪が、夜風にしっとりと靡いた。
男の影が渦巻き、まるで片翼のように翻る。
ユキと呼ばれた統制機構の衛士は、それに応えるようにゆっくりと構えた。
影が、闇が、さらに広がって衛士に襲い掛かる。
衛士はそれでも柔らかに微笑んでいた。
「―――にいさん、今、助けてあげるから」
その眼差しは夜帳の闇の向こう、優しい青を見つめていた。
The Wheel of Fate is Turning............. The Beast merely prayed for………